こんにちは 宮崎県在住 linolinoです。
二年前のことだが、はっきり覚えている。
ベッドから落ちるすごい音がして,
あわてて二階から母のもとにかけつけた。
痛くて歩けない、、と言う母、、どうしよう、、
落ち着こうとおもうが心臓がバクバク止まらなかった。
救急車をよぶことにした。初めてよぶ救急車、、
声が震える。
今の状況を説明して、病院にむかった。
腰を圧迫骨折していて、そのまま入院することになった。
母のいない生活。初めてである。
部屋も広く感じる。毎日病院には通った。
洗濯物を持って行ったり、
母の食べたいものをもっていったり、
最初は全く動けなかったが、
だんだん動けるようになり、あちこち病室も,
行き来できるようになり、母は病院生活を楽しんでいた。
患者さんの面倒もよくみていた。
顔見知りの看護婦さんも多く、たのしそうにいつもしていた。
日にちが薬、歩けるようになると、退院できた。
それからまた、二度目の圧迫骨折、また入院、、
さすがに二回目の入院は、母もおちこんでいた。
痛みがとれて、歩けるようになると退院できるからと、
声掛けしいつも励ました。
母の痛い腰にアロマタッチしたり、、
アロマオイルをぬったり、、
ハンドトリートメントをしたり、
母はラベンダーが一番大好きだったので、
毎日ラベンダーでハンドトリートメントをした。
「きもちいい。きもちいいね~」
母はアロマオイルが大好きだった。
「あんたがつかれるといかんから、はやく帰っていいよ」
といつも言っていた母、、
「今日はご飯なにたべるの?」と
わたしのことばかり心配する母、、
「毎日はこんでいいよ~」
「早くかえって寝なさい~」
「仕事きをつけてね」
「車 きをつけてね」
「今日もありがとう、おつかれさま~」
と元気に廊下まできこえるような声で、、
毎日私を見送ってくれた母。
今考えると、、
母と離れる練習だったのだと、今は思う。
あの数か月があったから、、