こんにちは 宮崎県在住 linolinoです。
私の母は病院が大好きでデーケアの休みの日には、
病院に通っていた。
母は、 B先生が大好きで、
「顔みるだけで元気がでる」と言って通っていた。
病院には顔なじみの方も多く、
「げんきやったね~最近みらんかったね~」
と会話をいつもしていた。
病院にこんなに通っていたのでまさか、
母ががんになるとは、、
一月もいつものように、病院にいったら、
先生が貧血があるから検査しましょうと言われて、
そのまま入院、そしていろいろ検査したらステージ4
のがんと言われ、、、
信じられなくてただ泣くだけのわたし、、
入院してからは、いつもと同じように接するようにした。
母は去年の圧迫骨折のときみたいに、
すぐ帰れると、おもっている。
母は大好きな先生に会えるのは喜んでいた。
わたしは毎日、背中にアロマタッチをして、
足裏にオイルをぬってマッサージしたり。ハンド
マッサージ、ヘッドマッサージも毎日した。
母も元気で「○○もってきてね~」と毎日元気だった。
兄が先生に「あとどれくらい、いきられますか?」
と質問したら、あと半年ですと言われた。
わたしは、大きい病院にかわりたかったが、
母がここがいい、と何回もいったので。
転院することはなかった。
これがよかったとおもう。
前も入院していたので、
看護婦さんとも仲良くなっていたし、
わたしもすぐ駆け付けられる距離だったので、
一日何回もいくことができた。
先生が市民病院で検査したほうが、よいと言われ、
検査した、そこでは、余命3ヶ月、、
といわれ泣きながら、覚悟した。
短くなってる、、
先生が一言、、
「何もしてあげられなくて、ごめんなさい」
といわれた。
その言葉を聞いて、
「あっ わたしには 天然植物のオイルがある」
これで母にわたしはしてあげられる」とおもった。
介護アロマもならったのも、すべてここに、
つながっていたとおもう。
毎日母の体にふれ、しゃべりながら、、
だけどなみだは毎回あふれでてくる。。
母がそのとき、、
「かぜひいたのね~きをつけんないかんよ」
とわたしの体を心配てくれた。
又その言葉で泣く、
一月からず~と泣きつづけている。
わたしの涙の回路がこわれたようなきがした。
後悔しないように、母を看病しようと思い、
33年間働いてきた保育士の仕事をやめる決心もした。
いつものように、朝仕事に行く前に母の所によると
なんかいつもとちがい、すぐ看護婦さんをよんだ。
脳梗塞になった。
わたしはすぐオイルを頭頂部につけた。
意識がもどらないとおもったが、意識はもどった。
しかし寝ている時間が、多くなってきた。
右手は動くが、左手は全くうごかない。
言葉は、「だいじょうぶ」と言うことばはしゃべれた。
このことばを、今も思い出す。。