母との別れ

こんにちは宮崎県在住 linolinoです。

脳梗塞。。

母の左手は動くのだが、右手が全く動かない。
母もそのことがわかるみたいで、、、
左手の点滴のながいくだを、左手で
もって、右手をつついていた、、

その姿をみていたら、たまらなかった。。。
医学事典で毎回調べ、ハンドマッサージをした。
母に「きもちいい?」と聞くと
「うん」とおおきくうなずいた。
しゃべれなくても、コミニケーションはとる
ことができた。

お医者さんはオイルを使うことをどんどん、
してあげていいですよといってくれた。
アロマの匂いで部屋も良い香りであり、
私もいやされた。

大好きな先生がくると、にっこり母は笑う。
やっぱり
この病院でよかった。

母が先生を大好きだから。

全く動かなかった右手が少しずつ動くようになってきた。
信じられなかった。

すごくうれしかった。

手を握っても全く力がはいらなかったのに、
手をにぎるとにぎりかえすようになってきた。

奇跡がおこるかもしれない。

兄も見舞いに毎日くるようになり、母は喜んでいた。
だけどいちばんうれしそうに、していたのは、
甥っ子姪っ子がきたときだった。
母は孫が大好きで毎日元気なときは、電話をしていた。
甥っ子は母の姿をみるのはつらそうだった。

あんなにおしゃべりが大好きな母が、、、
今は、「だいじょうぶ」しかしゃべれない、、
これだけでも十分だけど、、
もっともっとしゃべりたかった。。

けんかもまだまだしたかった。

私は父の命日が3月31日、この日がくるのが怖かった。。
迎えにこないでほしいと、仏壇に何回も頼んだ。。

31日がすぎたので、ほっとした。
「おとうさんむかえにこなくてありがとう」
だけど、、、

4月3日
病院から電話があり、、
二回目の脳梗塞になったといわれた。
あわててかけつけた。

母が亡くなる寸前まで、私は母のだいすきな、
ラベンダーでハンドマッサージをすることができた。
「おかあさん だいじょうぶ だいじょうぶ」
と声をかけながら、
母は苦しむことなく、私のハンドマッサージを、
うけながら、しずかに眠るように
最後は父のもとえ旅だった。。


葬式の棺桶のなかにも、たっぷりラベンダーをいれた。
母もきっと「いいにおい」と言ってると思う。

最後の最後のわかれまで、
「わたしはだいじょうぶだからね」と

何回も母に声掛けした。
母が心配しないように。

いままでありがとう。

「たくさんのたくさんの愛情をありがとう。」
「感謝してるよ。」
「大好き。」

「おとうさんとやっとあえるね」

母は大好きな孫の誕生日に選んだように人生を終えた。

   母の人生は最高だったとおもう。

わたしもだいじょうぶ。。。

アロマオイルに感謝。
今まで、母によりそってくれて、
母をいつも元気にしてくれてありがとう。

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